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グノーシス神話現る!初代教会を惑わした神観の挑戦【混ぜるな危険】
マタイ24章11節で、イエスは“また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。”と預言をしました。
1テモテの著者は“御霊は明らかに告げて言う。後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、信仰から離れ去るであろう。”(1テモテ4:1)と記しています。
このことが初代教会で現実になりました。
様々な偽の教えが起こってきましたが、グノーシス主義は最も大きなものの一つでした。
実際、1テモテ4章のはじめの部分はグノーシスに反論しています。“これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。”(1テモテ4:3)
このグノーシスは新約聖書が書かれた時代の教会に影響を及ぼしていました。グノーシスへの弁証(反論)は使徒たちが各教会へ手紙を書いた理由のひとつでした。
グノーシス主義者たちは一体何を教えていたのでしょうか。
もともとグノーシス主義は異教の神話・哲学でした。
グノーシス主義は学派によって多種多様なものでした。
多様性の中で共通していたのは、二元論「霊は善で物質は悪である」、霊と物質は相容れないこと、グノーシス(知恵)を持つことは救いであること、物質世界から自由になり霊世界に帰ることが救済であることなどの教えです。
その教えは地理的に広く影響を与えました。エジプトではナアセン派、セシアン派、カイント派、オピト派、バシリド派、バレンティン派が、シリアではサイモン派、ドシセアン派、メナンデリアン派、バシリド派、サタニル派が、小アジアではセリンス派、ニコレイト派、ゼウス・ヒプシスト派、ゼウス・サバジオン派が、ローマでは上記のほぼ全ての学派が存在していました。
そういったグノーシス哲学者たちの一部はキリスト教から感化を受けました。
彼らはキリスト教の世界観を一部取り出して、彼らの神話と哲学と混ぜ合わせたのです。
彼らのアイディアはクリスチャンに影響を与え、キリスト教会に入り込んできました。
クリスチャンと自称する者の中にグノーシス主義者が出てきたのです。
彼らは自身をクリスチャンであると見なしていましたので、多くのクリスチャンが彼らの教えに騙されてしまいました。
キリスト教化したグノーシス主義はどんな形であれ、キリスト教の中心的な真理を変えたり、抜き取ったりしながら、多様な異教からの神話によってキリスト教の神秘を説明しようと試みるものでした。
ヨハネのアポクリュフォンはキリスト教化グノーシス主義の書物です。多くの人々によって編集、加筆されています。
要約すると、そこにはこう記されています。
ある日、主がヨハネに現れて過去、現在、未来の秘密を教えた。この世界の始まりの神秘は以下の通りである。(※異教の神話ですので、聖書の真実とは全く違います。)
唯一の方は全ての上におられる神であり、言葉では表現することができない。
彼が「光-水」の中に見た自分の姿に夢中になっていると、彼の「自身-気付き」の思考がバルベロという存在となった。
それから他の神性の存在が生み出されていった。
知恵はそれらの中で最も低い神であった。
彼女は唯一の方のように他の存在を生み出そうとしたが、ライオンの頭をもった龍という醜い不完全なものを生み出してしまった。
彼女はそれを神が住むプレロマから投げ捨てた。
彼女はそれをヤルダバオトと名付けた。
ヤルダバオトは世界とアダムを創った。
神々はヤルダバオトの霊力を奪おうとし、ヤルダバオトはそれを逃れるため霊をアダムに与えた。
アダムとその霊はエデンの園に囚われた。
バルベロはアダムにゾエ(命の霊)を送る。
ヤルダバオトは命の霊を得ようと試みるが失敗した。
彼は人工の霊を生み出した。
その後、世界は命の霊と人工の霊との争いの下に置かれることになった。
世界の終わりにはバルベロがヤルダバオトを打ち負かしにやってくる。
サイモン・マガスはアンテオケでサイモン派のリーダーでした。
彼の妻はヘレナといい、彼の教によると、ヘレナは全ての母でした。
サイモンとヘレナは世界が救われるために神のグノーシス(知恵)を与える救い主だと教えていました。キリストはその教えの中には全く出てきません。
彼の生徒メナンダーはさらにその教えを変えて、自分が救世主だと主張しました。
この世代では、サイモン派はクリスチャンであると言っていました。その次の世代(サタニウス)はキリストはユダヤ教の神を破滅させるために来たのだと教えました。
彼らの立場では、イエスはヨセフとマリヤから生まれた単なる人間でした。
しかし霊であるキリストが鳩の形で洗礼の時にイエスに降臨し、十字架の前にイエスを離れて行きました。すなわち、キリストは苦しまなかったのです。
彼の教えはキリストの受肉を否定するものでした。これは養子論という異端につながっていきます。
バシリデスはメナンダーの生徒でした。
彼はユダヤ人の神は最上位神の「父」とは違うと教えました。
ユダヤ人の神は天使たちの長であり、低い天を創り、所有していました。
父は彼の教えにおけるキリストである「精神」を天使たちの圧政から信者を救うために送りました。
天使たちはキリストを十字架につけることに成功し、彼は十字架上で死んだと思いました。
しかし、キリストは十字架にかかる前に去ってしまっていたので、実は死んでいませんでした。
バシリデスはこうやってキリスト教のメッセージを私解釈しました。彼は自らを教会の一員であると考えており、福音に関する書物を24冊書きました。
バレンティン派はローマにあった学派です。彼は教会に所属しており、自分はクリスチャンであると考えていました。
彼の神話はこうでした。
アビスという名の「知られていない父」がいた。
彼は「沈黙』という名の女性の連れを生み出した。彼らから、イーオンと呼ばれる神々が生み出された。
最初は「精神」と「真実」、続いて「世界-命」と「人-教会」。
「世界-命」から別の10のイーオンが生み出され、「人-教会」から12のイーオンが生み出された。よって30の神々が存在した。
神々がいた場所はプレロマと呼ばれた。
知恵はその30のイーオンのうち、最後に生み出され、最も低いイーオンであった。
知恵は父を知りたいと思った。しかしそれは叶わず、彼女は悲しみのうちにアカモート(不確か)を生み出す。
この不幸な状況のため、アカモートはプレロマから堕ちてしまった。
それを見ていた精神と真実は、知恵を悲しみから救うためにキリストと聖霊を生み出した。
一方で、アカモートは物質世界で全てのものの母となった。アカモートの不幸な生まれが原因で、物質は完全に悪だった。
アカモートはデミウルゴスを生み出した。
デミウルゴスは物質に形を与えた。
実は、デミウルゴスが物を形作っている時、神である知恵がプレロマからデミウルゴスを操作していた。それによって、霊的要素(善)が創造物にもたらされた。
後になって、知恵はイーオン「イエス」を処女マリアの子として誕生させた。
イエスは知識を人々に開示した。
もし人々がその知識を受け取れば、彼らはプレロマに帰ることができる。
バレンティンの哲学によると、この世界は知られていない父によってではなく、デミウルゴスによって創られたことになってしまいます。またキリストや聖霊は創造されたものと教えていました。
ケルドはサイモン派サタニウスの生徒でしたが、ローマに移り、バレンティンに学びました。
彼は旧約聖書の神とイエスの父は別だと教えました。
創造主は下級の神「デミウルゴス」で、主の父は良い神「知られていない父」だと主張しました。
西暦140年、マルシオンはローマに来てケルドの生徒になりました。彼はバシリデスからも影響を受けていました。
彼はケルドの教えに従い旧約聖書と新約聖書を完全に分け、更には旧約聖書を彼の聖典から取り除いてしまいました。
彼の教えはこうです。
キリストは人間であったことはなく、天から送られた。
デミウルゴスは彼を十字架につけたが、彼の体は物質ではなかったので、彼は苦しまなかった。
キリストはメサイヤではなかった。メサイヤは将来やってくる。
キリストの再臨、最終審判、死者の復活はない。
マルシオンは自分の聖典を作りました。
そこにはルカの福音書、牧会書簡以外のパウロの手紙からなり、旧約聖書は除かれていました。
彼はパウロだけが本当の使徒だと言っていました。
グノーシス主義は本来異教の教えでした。しかし、それがキリスト教の概念と合わさって、影響力のある偽りの教えとなりました。
上記のようなグノーシス主義者の教えは他にも沢山存在しました。
もしグノーシス主義を受け入れようとするならば、イエスが明らかにされた重要な真実を拒絶しなければいけません。
彼らは神と接触することは不可能、創造は下級の神によって行われた、物質は常に悪である、救世主の受肉はありえず、十字架上で死んでいないし、死者から復活することはなかった、生まれつき霊的である者だけが救われる、死者の復活はないと教えました。
テモテへの手紙の著者は警告を残しています。“テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識(グノーシス)」による反対論とを避けなさい。”(1テモテ6:20)
2ヨハネの手紙では、グノーシス主義者は反キリストと呼ばれ、あいさつのことばをかけてもいけないと書き送られています。
“なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。よく注意して、わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく、豊かな報いを受けられるようにしなさい。すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。”(2ヨハネ7-11)
現在でもグノーシス主義は残っています。
また、他のアイディアと聖書の真理を掛け合わせて、聖書を私的解釈しようという試みも珍しいことではありません。
教会への挑戦は今も昔も本質的に同じ精神から来ているのです。
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